2013年11月30日(土)

結局三泊もお世話になった佐世保ライダーハウスさんで朝六時前に目覚めます、ブログは昨晩書き上げて予約投稿でアップしていたので起き抜け直ぐに荷物の整理をしてパッキングをします。

なんかここ二日戯れた猫たちがどうもライダーハウスの前で待っていたようで(かわいい猫たちです)ドアを開けた瞬間やって来ました、嬉しいのですがあまり長いこと戯れてはいられないので踏ん切りをつけて別れを告げます。
そんなこんなで六時半頃に出発します、佐世保ライダーハウスさん長いことお世話になりました、しかしちょうど天気の悪いタイミングでいい宿が見つかって本当に良かったです。

ライダーハウスを出発し小一時間走って長崎市内に入ります、実は今日早めに出たのは軍艦島(正式名端島)に上陸出来るクルーズに乗ろうと思ったからであります。
今回お世話になる軍艦島クルーズさんで受付をします、ちなみに上陸の手数料を含めて3300円で乗ることが出来ます、この旅にしては大分大枚をはたきますが、結構旅仲間の人もいっているみたいですしちょこちょこ名前を聞くので僕も便乗して行ってみようかと思った次第です。

今回乗船する船ブラックダイヤモンド号です、九時出港との事なのでそそくさと乗り込みます。

乗船してしばしした後出向します、離れ行く長崎市街を眺めます。


しばし乗船しまずは軍艦島の手前にある伊王島に船は立ち寄ります、三菱の創業者岩崎弥太郎(僕はどうしても水曜どうでしょうの原付日本列島制覇の前枠・後枠を思い出してしまいますが・・・)の像とこれから行く軍艦島の模型がありました。
ちなみに軍艦島の詳しいことは
Wikipedia先生を御参照いただければと思います。


伊王島を出発ししばしして軍艦島のすぐ脇にある中ノ島と軍艦島が見えてきました、実際に見えてくるとなんか気が昂ってきます。

そしてついに軍艦島に接岸し上陸を果たします。

一応Wikipedia先生のリンクも張りましたが簡単に端島(軍艦島)について触れておきたいともいます、軍艦島はかつて石炭の採掘で栄えた島で南北480m・東西160mの島に最盛期では5000人以上の人々が暮らしていまて、人口密度は東京の九倍以上だったそうです。
1974年に炭鉱が閉山になってからは人がいなくなり今は無人島となっています、近年一般の人も上陸できるようになってからは観光客の人が結構訪れるようになったようです。
このような限られた土地に多くの人が住むために写真のような高層アパートが建てられたようです。

せっかく大枚をはたいたのとガイドさんの説明が結構細かいところまで突っ込んでされていたのでそれを忘れないためにも、今回は細かい所も拾って載せようと思います。
写真は幹部の人が住む住宅です、一般の住宅が6畳一間とかなのに対し3LDKとかの間取りで普通の住宅は共同浴場なのに対し内風呂があったそうです。

写真中央辺りに写っている水道管は昭和三十二年に対岸の三和町から6500メートルもの海底送水菅が引かれてから使用されたものだそうです、それまでは海水を蒸留したり給水船で運ばれた水を使っていたようですが船で運べる水の量はそれほど多くはなかったので、水道が引かれるまでは水が貴重だったようで、飲み水とかも配給制だったそうです。

第二堅坑坑口桟橋跡です、当時はここから坑道へ向かったそうです。

ガイドさんの話では、結構当時ここで働いていた方もいらっしゃるそうなのですが当時から一番変わっていないのはこの階段と言う方が多いそうです、坑道は1000メートルも地下で体感温度は40℃で湿度は95%以上と言う過酷な環境だったそうです、この入り口から坑道の入り口に着いてまずするのが同僚の看病だったと言うお話も聞きました。
よく見ると階段の部分が黒くなっていますがこれは坑道から上ってくる際に靴についた石炭が階段に付着したものだそうです、こうして何年経っても残っているあたり凄いものだと思いました。

この灯台は島が無人島になってから設置されたものだそうです、それまでは灯台は必要なかったとの事です、なぜなら島から灯りが消えることが無かったのでそもそも灯台が必要なかったからだそうです。

端島神社の跡です、今はこの祠が残っているのみの様です、毎年4月3日には全島を挙げて祭りをしたそうで、その日だけは炭鉱の操業もストップしたそうです。

ここは30号棟でなんと1916年(大正5年)に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパートだそうです、そんな昔にこんな建物があったこと自体が僕は結構驚きました。
ただこの軍艦島世界遺産の暫定リストに登録するにあたって調査があったらしいのですが、建物の風化が激しくてもってもあと50年だそうで、大きい台風等が来たらいつ倒壊してもおかしくない状況だそうです。

アパートの中にはまだ生活用品とかが残っているそうです、ただ現在見学用の遊歩道の柵から出ることは出来ないので中まで入れませんが、マックスズームで撮ったらいくらか生活の跡と言うかそういったものは伺えました。

軍艦島クルーズ3300円となかなかのお値段ですが行く価値は大いにあると思います(貧乏旅行者の僕が言う位ですからw)
軍艦島上陸を終えて船は帰路へつきます、離れ行く軍艦島を船から見つめます。

そんなこんなで軍艦島クルーズを終えます、とりあえず長崎市内を走ります、路面電車が走っていたり、異国情緒が感じられたりとなんとなく函館に近いような雰囲気を感じました。



とりあえずお腹が空いたのでなにか食べようと思います、中華街っぽいところがあったのでその界隈をぶらつきます、パッと目に入ったちゃんぽん屋さんに入ります。

700円のちゃんぽんを注文します、やはり長崎に来たらちゃんぽん位は食べておこうと言う魂胆です。
お味は本場だけあっておいしかたっと思います。(本当にグルメレポは不得意分野なのでいつもこんな感想ばかりですいません・・・)
ちゃんぽんは具材が野菜が多かったりなので結構好きです。

昼食後一旦市内から離れ今日泊まるキャンプ場へ向かいます、本当は長崎市民の森と言う所に目星をつけていたのですがどうもキャンプ場は夏期だけのようでした(九州は夏期限定のキャンプ場が多い気がします)
なので第二候補にしていた潮井崎公園に向かうことにし、しばし走って到着します。

受付を済ませてテントを設営します、久しぶりのテント設営です、ここ数日の寒気は落ち着いたようで今日はわりと暖かいので(と言っても10度台前半位でしょうが)テント泊でもよく寝られそうです。


テントの設営も終わってまた長崎市内へ戻ります(効率の悪い回りかたかもしれませんがやはり寝床は早めに確定しておいた方が安心して観光できるのでなるべく安全策を取ろうと思います)
そして平和公園を訪れます、やはり長崎と言うとこの像のイメージが強いです、近くに無料の原爆資料展があったので見てきました、写真は撮りませんでしたがやはりいろいろと考えさせられるものがありました。

平和公園を出発し今日は朝早かったので市内探訪はこんなところにしてキャンプ場に戻ることにします、途中のマックに立ち寄ってブログの更新作業をします、今日は軍艦島クルーズが結構濃かったので忘れないうちにブログの執筆をしてしまおうと言う魂胆です。

マックを出発し、キャンプ場に戻ると雨が降っていました、予報では曇りでしたが結構本降りでした・・。
雨の中炊事棟で夕食を作ります、今日は昨日の余りのもやしとキャベツと卵入りのラーメンを作って食します。
食事も一段落し雨が降るなかテントの中で就寝しました、幸い水捌けの良い場所だったのでテントの中は比較的快適でした。
今日の走行距離 116・9km
費用 4000円
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